帯広聖公会
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聖公会とは

キリスト教は、「イエス・キリストは救い主である」との信仰から始まっています。原始キリスト教時代のローマ帝国による弾圧と迫害、その結果によるローマ帝国の国教化によりキリスト教は一気に広まっていきました。その後、ローマ帝国が西と東に分裂していった中で、政治的又は言語からくる文化圏の違いから、ローマ・カトリック教会(西方教会)と正教会(東方教会)に分かれて今日まで続いています。
それが16世紀に起こった宗教改革期以降、ローマ・カトリック教会から分かれて行った流れを総称して、プロテスタント(抗議する)教会と言われるようになりました。

英国では、国王とローマ教皇による王権と教皇権の争いが続いていたのですが、ヘンリー8世の時代に決定的にローマ・カトリック教会との分裂がおきました。その意味で、英国国教会を母体とする『聖公会』はプロテスタントと言えます。『聖公会』は教会の歴史の中の悪弊を排除しつつ、聖書、伝統、理性を重んじる”中道主義”の教会と言えます。その意味で、ローマ・カトリック教会とプロテスタント教会とを結ぶ”Bridge Church(ブリッジ・チャーチ)”とも言え、「架け橋」の役割も持っています。
現在、『日本聖公会』は日本のローマ・カトリック教会と同じ共通口語訳の『主の祈り』を正式に用いています。

ちなみに『聖公会』はその成り立ちからローマ・カトリック教会の影響と共に、ケルト文化を尊重し、それらの調和を大事にします。特に『聖公会』の幾つかある十字架の内、「ケルト十字」と言われるものは、十字架の背後に丸い円が付いています。


世界の聖公会

世界中に『聖公会』は160ヶ国以上に広がり、7000万人近くの信者がいます。これらの教会はアングリカン・コミュニオンと呼ばれ、英国のカンタベリー大主教が全世界聖公会の精神的指導者ですが、ローマ教皇のような権威・組織はありません。ちなみに英国の元首戴冠式を執り行うのはこのカンタベリー大主教です。


日本の聖公会

明治初頭に、イギリス、アメリカなどから多数の宣教師が日本に派遣され、『日本聖公会』の基礎が築かれました。彼ら宣教師は、宣教のみならず教育に関与することで日本の近代化に大きく貢献しました。
北海道には、1874年(明治7年)に函館で初めての礼拝が行われた記録があり、北海道宣教の第一歩が印されました。
太平洋戦争の折は、創立の経緯や特殊事情から『日本聖公会』にとって、最も悲しい暗黒の時代でありました。しかし、終戦後の復興は、創立時を凌ぐほどの援助がイギリス、アメリカ、カナダの聖公会から差し伸べられ、大きな助けとなりました。

現在は、北海道から沖縄まで11の教区と300余の教会があります。神学校や修道会を有しますが、教育や社会福祉の分野での働きもあります。教育では、立教学院立教女学院平安女学院聖路加看護大学など約40の学校、約150の保育園、幼稚園。また、エリザベス・サンダース・ホームや滝乃川学園などの児童福祉・障碍者福祉施設や数多くの高齢者福祉施設が社会福祉事業に寄与しています。医療機関には聖路加国際病院聖バルナバ病院新生病院なども『日本聖公会』と深く関連しています。
また、山梨県の清里には、「キープ協会」と言うモデル農村コミュニティーが戦後直ぐに設立され、戦後農業のリーダーとも言うべき働きをしてきました。ここでは『日本聖公会』の信仰に基づき、創設者ポール・ラッシュ博士の「人類への奉仕」の4つの理念、「食糧」「保健」「信仰」「青年への希望」に加え、新たに「環境教育」「国際協力」を掲げて、自然と触れ合う体験型学習の推奨や環境保護活動を行っています。


《聖公会 日本への伝道》
  1846  ベッソンハイム、那覇に。食料の欠乏や迫害を受ける。8年間居住して四福音書を琉球語に        訳す(本土に来ず)。
  1853  ペリー提督による、黒船来航。水夫が亡くなったが聖公会祈祷書により葬儀執行。ペリーは聖       公会信徒。ベッソンハイム艦隊に便乗して香港へ。
  1854  R.C.ムーアトン夫人、那覇に。薩摩藩主、ベッソンハイムのような酷遇はせず。
  1856  タウンゼント・ハリス(聖公会信徒)米国総領事として下田に。外国人居留地に会堂を建て、キ       リスト教の礼拝を行うことを幕府に認めさせた。
  1863  長崎に最初の聖公会聖堂建立。
  1866  荘村助右衛門受洗(日本聖公会最初の受洗者)
  1873  「切支丹禁令高札撤去」が宣せられる。
《聖公会 北海道への伝道》
  1874  CMS、W.デニング司祭を函館に。
       北海道における聖公会の伝道が始まる。
  1883  晩成社移民団、13戸27人、オベリベリ(帯広)に入地。
《聖公会 帯広への伝道》
  1891  晩成社社宅で最初の説教。金岩捨次郎伝道師。
  1893  茂岩(広尾)、大津に講義所。鯨岡寅吉伝道師。
  1895  大井浅吉師(後に司祭)、大通9丁目2番地に講義所開設。
       帯広聖公会創立の年。
  1896  白人(チロット。現、幕別町)村にアイヌ人学校。津田喜九郎伝道師。
  1898  帯広聖公会教会堂竣工。東1条南9丁目に。間口3間、奥行7間。
  1899  利別聖公会開設(現、池田町)。本間弥門伝道師。信者数32名。
  1901  茂岩準教会落成。
  1902  伏古(帯広市伏古)に特別教育所開所。
  1905  帯広聖公会聖堂新築落成。工事は北海道修治監十勝文監(現、帯広刑務所)。
  1911  帯広聖公会附属双葉幼稚園開園。東1条南9丁目、帯広聖公会内。
  1915  十勝姉妹職業学校(帯広三条高校の前身)開校。創立者、信徒高橋又治氏。
        ※ 1931 〜 帯広市に移管。
  1916  信徒大村壬作氏(元、芽室村長)、芽室の所有地を寄附。講義所開設。
  1922  双葉幼稚園、移転新築落成。東4条南9丁目。
  1939  「宗教団体法」公布、翌年施行。これにより宗教団体は国家の統制下におかれる。
  1942  帯広聖公会、地方庁(北海道長官)認可の単位教会として当局の指示で、「帯広聖公教会」と
       称することになった。
        ※ 教会の鐘など供出。
        ※ 教区内の諸教会、連絡は公的に隔絶。
  1945  12月、GHQにより「宗教団体法」撤廃。日本聖公会に復帰。
  1952  十勝沖地震による教会の被害甚大。教会堂新築の声、上がる。
  1955  教会の附属として幼稚園を開園することを決定。
  1957  帯広聖公会幼稚園園舎新築落成。西8条南12丁目の現在地。
        ※ 教会堂は後年度計画。
  1960  帯広聖公会聖堂聖別式。
  1972  学校法人設立で、幼稚園は8月24日付で「学校法人 聖公会北海道学園」に移管された。
  1974  日本聖公会北海道教区宣教百年記念。
  1981  帯広聖公会共同墓地の建立・聖別式。
  1986  婦人会ミニバザーの益金をアフリカへの衣類の送料に。
  1993  帯広聖公会創立百年記念実行委員会組織化される。
  1994  牧師館新築落成祝別式。
  1995  帯広聖公会創立百年記念聖餐式。
        音楽と講演の夕べ。記念アルバムの作製。記念誌の発行。
  1999  「CMS創立200年記念訪問団」渡英。帯広から3名参加。
  2002  婦人会ミニバザーの名称を教会バザーに変更される。
  2003  帯広聖公会創立110年記念実行委員会を組織。
  2005  帯広聖公会創立110周年・帯広聖公会幼稚園創立50周年記念聖餐式、及び祝賀会。
  2009  「日本聖公会宣教150年記念礼拝」が挙行される。
       帯広福音ルーテル教会と講壇交換。〜エキュメニカル運動の試み。
       クリスマス・キャロリングが数十年ぶりに復活。
  2011  「東日本大震災」によって「震災支援室」が発足活動開始。
       「十勝の豆の販売」が支援資金や教会改築の準備のために始まる。
  
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